前編
創業429年に学ぶ真善美ー前編
株式会社タゼン 代表取締役社長 田中善 氏
2025.10.31
プロローグ
日本の良さって、なんだろう?身近にあって、即答できる人が少ない問い。
おもてなし文化?謙虚な国民性?美味しいご飯?どれもそうだ。が、その奥にあるものを知りたい。
そんな問いを追いかけていた我々が出会ったのは、400年の家業を継ぐ、御銅師(おんあかがねし)の物語だった──。
日本の歴史と共に生きる(株)タゼン
テレビも紙幣もなかった時代、人びとは着物をまとい、七輪で魚を焼き、路面店の店先でおしゃべりを楽しんでいた。──そんな“仙台の町のはじまり”とともに、タゼンの歴史が幕を開けた。
創業429年、はじまりは1596年。家康の命で、伊達政宗が本拠地を東北に移すことになった。城や神社仏閣の造営、貨幣流通のためには銅が必要だ。そこで銅を扱う職人として腕を見込まれたのが、初代・善蔵。政宗とともに岩出山を経て仙台へと進出した。やがて飾り物の仕事は一段落。そこで銅の特性である熱伝導に着目し、事業を発展させる。江戸中期にはやかんや鍋を、明治時代には風呂釜を、そして戦後は給湯器などの水道設備を。という具合に、住まいにまつわるものづくりを手がけながら、本業をリフォーム業へと広げていった。同社の事業の本質は創業から変わらない。昔も今も、仙台の人々に暮らしの快適を届けている。
関ヶ原の戦い、明治維新、第一次・第二次世界大戦、バブル崩壊、コロナ──。いくつもの歴史の荒波を越え、創業400年を超える会社は、老舗大国・日本でもほんのわずかだ。日本の資産とも言えるチームの十九代目、田中善社長が、「日本の良さって、なんだろう?」この問いのヒントをくれた。
当日は、銅で盃を作るワークショップを通してのフリースタイル取材。
自然体の言葉のなかに、日本のアイデンティティの輪郭がふと立ちあがる──。
そんな瞬間を、恐れ多くもここに残したいと思う。
※取材元:インビジョン株式会社。以下、Invison
十九代目 田中善社長

Invision:うちはまだ創業18年なので、410歳年下です。
善社長:そうはおっしゃってもですよ、私は今年でまだ42なんですよ。こんな若輩者が歴史云々と言ってもですね、全然実感も説得力も、私自身が一番無いんですよ。
—と言いながら、親しみやすい笑顔を返してくれた。
Invision:だけど事実、この土地が政宗公にもらったものだとか、なんかもう流れているものが違うというか。
善社長:それは…たぶん自分自身が一番分からないんですよ。でも、どこか確信的に分かっているようなところもあって。無意識に行動してる部分もあるでしょうし、良いところだけでなく甘さもあるでしょうし、様々なものが複合してあると思っています。
—今度は少し内省的だ。
驚くほど等身大の返答に、こちらの心は一瞬でほどけていく。同時に、謙虚な物腰からにじむ気高さに惹きつけられる。
銅も人間も初期化が肝心
善社長:さて、作りましょうか!今日はちょっと特別に“コラボレーション”っていう形でやりたいと思っていて、高台(こうだい)をつける盃にしようかなと。器の下に、土台みたいな部分がつく盃です。上を作ってもらって、台を私が作って。
—ただの取材でなく、“共につくる”時間を用意してくれる。なんと心のあるおもてなしなんだろう。早速、老舗の粋を体感する。善社長が何やらゴソゴソしはじめた。材料となる銅板が沢山入った引き出しだ。
善社長:ここに銅板を色々切って溜めてるんですけど、銅板の方から「今日はこれがいいよ」みたいに言ってくるような感じがあります。いやかっこつけて言ってるだけなんですけどね。
(小さく独り言で)あ、やっぱ出てきたわ。これがいいじゃんね。これにしましょうね。

—そう言うと、銅板を火箸でつかみ、大〜きなコンロで直火にかけはじめた。次の瞬間、真横にある大きな水の樽に、ジュッ!と入れた。一瞬で引き上げ、素手で掴む善社長。
(ひゃっ、あぶない!)
善社長:熱くないんですよ。水に入れるとね、一瞬で温度が同じになります。これが“熱伝導”です。
—恐る恐る触ると、確かに熱くない。水からあげた銅板は、しっとり、素手で曲げられるほど柔らかくなっていた。
善社長:これが“なました銅板”といって、“初期化された銅”っていう状態です。柔らかいんですよ。この状態から、好きなように叩いて形を作っていきます。
—初期化された素の状態から、好きなように形づくる。善社長と銅はなんとなく似ていると思った。この人が歩んできた人生が気になる。
高校入学7日目にリセット「僕学校やめる。」
Invision:タゼンを継ぐことは決まっていたんですか?
善社長:当然継ぐんだろうなとは思っていましたね。小さい頃からじいちゃん(十七代目)は、「お前は十九代目だから」って言ってましたし。ただ中2くらいから、人生が決められていることに違和感を覚えてきて。そこから色々重なって、高校を入学して7日で辞めてるんですよ。
Invision:入学7日で!きっかけをうかがっても?
善社長:中学2の野外活動で、タケちゃんが企画してみんなで ”リンダリンダ” を踊ったんですよ。はじめて聞いた時、ドブネズミみたいに〜という歌い出しに、ガーン!と来て。あれが、はっきりと覚えている“初期衝動”でした。
Invision:具体的に何があったんですか?
善社長:一番は、性への目覚めですよね。体は大人になるのに、意識は子供のままという葛藤がうまれたんですよ。コントロールできない衝動に戸惑って、罪悪感があった。真面目一辺倒だった自分が自己崩壊していった。でもそれって生命を次世代に繋げる“クリエーション”の源で。タブー視される欲望と、命の根源のズレに違和感を感じながら、それがロックと重なったんです。下手クソなのにアツい。ピュアな感じに憧れて。それから、第一志望の高校に落ちたり、勉強も面白くなくなったりして。”自分とは何か”と頭が真っ白になるんです。
Invision:すんなり辞められたんですか?
善社長:母に「僕学校やめる」と言ったら、以前から予感はあったようで、先生に相談してくれて。そしたら先生、「善君は分かる気がする。昔教え子だった有名な漫画家に似てるから、何か成し遂げると思う」って、背中を押してくれたみたいで。あれは多分、荒木飛呂彦のことだと思います。勇気づけられました。
Invision:お父様は?
善社長:親父は「世界でも放浪してこい」と。自分の決断は受け入れてくれる部分があったんですよね。
—15歳にして“自分とは何か”と問い、高校をやめた善少年。この決断がその後の人生の核になっていく。
ひとつの縁を起点に、人生が動き出す。
善社長:中退後、海外に行きたくて、ある英語のプログラムに行ったんですよ。そこで英語の講師をしていた関さんと、仲良くなったんです。当時27、8歳だったかな。一流企業に勤めていたけど、彼も何かが違うと辞めて、自分の人生を模索していた人でした。
キャンプ、天体観測、いろんなところに連れていってくれて。お兄さんみたいな存在でした。忘れもしない、夏の終わり頃、アパートで雑魚寝しながら、改めて自分ちの話をするような形になって。実家の祖業が銅だって話をしたら、関さんが「善くん、それ向いてんじゃない。」って。それで俺、「あ、そうかもしんない。」と思って。

次の日には帰って、じいちゃんに「どうしても銅をやりたい。」と伝えていました。それまで銅を叩いたことなんて一度もなかったのに、不思議とそう思ったんですよね。
実は、妻との縁も関さんのおかげですね。当時、「善君、ゆりかさんという人と話が合いそうだから、会ったほうがいいよ。」と紹介してくれて。結婚はもっと後ですけど、関さんが仲人みたいなもんだなあ。
銅一筋四十年の親方「お前に全部教えてやる」
Invision:当時のタゼンの本業は、住宅設備業でしたよね。祖業の銅事業は、戻って一人で復活させたんですか?
善社長:実は一人いたんですよ。じいちゃんの代に入社した阿部さんという銅専属の職人が。銅の風呂釜やオーダーメイドの鍋、職人が使う道具を黙々とつくっていて。僕が入った頃は50代半ばくらいで、僕と同じ15歳でタゼンに入ったっていう人が。
銅一筋、四十年。まさに親方(正式には“職長”)でしたね。
「俺はタゼンを守ってんだ。何十年、この工場を守ってきたんだからな。」
「俺はこの会社のこと全部知ってる。だからお前に全部教えてやっから。」って。
銅のいろはを一から叩き込んでくれました。
口調はいつもぶっきらぼうだけど、愛情があった。
10時と15時にお茶の時間に、「(お茶菓子を)け!(仙台弁で食え)」って言いながら昔話をしてくれる。記憶してること、感じたこと、あの時代はこうやって変わった、みたいなのを細かに、阿部さんの知るタゼンの全てを教わりました。
—山本五十六「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の実体験編な気がした。阿部さんのような職長の存在があったからこそ、タゼンの技と誇りは絶やされずに受け継がれてきたのだろう。
学び直すも、やっぱり「学校じゃおさまんないんだ!」
善社長:修行から三年弱たったある日、阿部さんに「お前このままでいいのか」って話をされて。銅を一通り学んだけど、その先は?ということだったんだと思います。「確かになあ」と思ってですね。銅をもっと外の世界に広げて行きたいと思うようになって、二つの道で迷いました。金属の可能性を研究するような科学の道に行くか、ものづくりの表現を極める芸術の道に行くか…。
それで全国各地、色んな人にまた話を聞きに行くわけですよね。その中に金属工芸の人間国宝である奥山峰石さんとの出会いがありました。「弟子入りができたらなぁ」と思ってたんですが「君は実家が歴史のある家系なんだし、大学にいって工芸と経営の二刀流を目指すと良いんじゃない。私のところに来てもいいけども、食わせられないよと。」
これが決定打となり、一度タゼンを退職し、工芸の大学に行く決意をしました。
ただね、心をエグられる世界だったんですよ。予備校では描いた作品には点数がつけられ、順番に並べられ、公表される。ヒエラルキーのトップを目指し勉強する世界に、正直「クソだな。」と思いました。反発心を力に、わざと挑戦的な絵を描いたりしてね。
進学してもその違和感は消えませんでした。アートって本来、自由じゃないですか。なのに美を探求するはずの場で、決まりや他者評価が先に立つ。僕が求める銅の道は見いだせなかったんです。
それでじいちゃんに、「残りの2年間、学費にこれだけかかる。でも僕は卒業証書が欲しいわけじゃないんだ。タゼンの技術はもっとすごいんだ。それはもう学校じゃおさまんないんだ!」って言ったんです。
やることはやったと言えるように、主要な科目でSランクを取った成績書を見せて、大学の先生も説得して、「ここじゃなくてもっと可能性のある場所でやりたい。」ってプレゼンして。残りの学費分で、今いる工房を作ってもらったんです。
だけど、大学には本当に感謝してるんですよ。職人として今こうして評価していただけるのも、まちがいなくあの頃教えてもらった工芸の技術やデッサンの基礎があってこそです。
—「売れると分かってるもん作ったって何にも面白くない。まだないものをつくりたい。」そんな善社長の信念を象徴するエピソードだと思った。工芸の世界に飛び込み、去るまでの2年間は、自我に気づくための迂回路だったのかもしれない。
決定的な試練から、独立への歩み
善社長:大学を辞めて、“ここからやるぞ”と理想を掲げてタゼンに戻りました。だけどじいちゃんとの衝突でどんどん溝が深まっていきました。昔は阿部さんのもとで従順に学んでいたからよかったんですよ。だけど外に出て戻ってきたら、いっぱしの口を聞いて、昔の考え方、作り方と違うことをして。「なんだその作り方は!」と否定され、ぶつかることが増えました。
大風呂敷を広げたはずなのに、2年間1件も注文が来なくてね。しまいには精神的にどん底になって、4階の自宅から1階の工房に降りれなくなっちゃうんですよ。
親父も苦しい時期で、社員からは不満が噴き出し、家族も会社ももうぐちゃぐちゃで。そんなときに父が「お前、独立しろ。」って設立の資本金1000万を、ポンと出してくれて。これ以上一緒にやっていたら共倒れになると思ってのことでした。
—またしても、いや、ここにきて決定的な試練に直面するのかと息をのんだ。しかし、この難所こそが、のちに人生を照らす光への入り口となる。
前編は、商いを継ぐことが当たり前の家に生まれた十九代目が、迷いと試練に向き合う物語だった。
後編では、それまでの出来事が結びつき、意味を帯びながら「本当の仕事」への道がひらけていく。
ストーリーを取材したライター
