あの気配は、一体何なんだろう。
株式会社大栄木工 三代目代表 能登一志 氏
2026.7.10
いつだって、心のアーカイブには実体がない。
思い描けば大体のものはほんの数秒で可視化されるこの時代に、心にアーカイブされていくのは目に映るもの以上の「何か」で。
どうしたって断捨離できない何かを、たまにひっぱり出して見せあいっこするような時間のことを、浪漫というのかもしれない。
でも、そんな出会いは頻繁にあるわけではなくて。大事にしまっておいたものを、そろそろ空気に触れさせたい——。
目黒川の桜が満開に近づく3月。まだ真冬の寒さが残る秋田県・能代市を訪れた。
木都能代の薫りをまとう黒子との邂逅

私が「何か」を感じるのは決まって、”あの時”の面影に出会った時だ。
それに触れた時、足がすくむような「気配」に取り憑かれる。あの気配は、一体何なのだろう。
そんな問いを頭にピン留めしたまま日常を過ごしている時に、とあるwebマガジン内で語られる言葉が脳裏に焼きついた。
「あったかもしれない時間に想いを馳せ…」
難しくもなんともないこの一節が、何日経っても頭から離れない。
書き手は、大栄木工の代表取締役・能登一志さん。
かつて「東洋一の木都(もくと)」と呼ばれた秋田県・能代市で、親子3代に渡り建具づくりを継承する能登さん。本業のかたわら運営するshinboku magazineには、ふるさと「木都能代」の面影ただようスポットをひそひそと巡り歩いては、愛着と寂寥の混じる感情が丁寧に紡がれている。まだ会っていないのに、まとっている哀愁がPC画面を飛び越えて薫ってくる。なんだこの気配。出会っちゃったかも。
パートナーの秋田魁新報さんにわがままを言い、能登さんと直接お話する機会を設けていただくことができた。
東京駅から秋田新幹線で北東へ4時間。盛岡を過ぎてしばらくすると、まだ新鮮な積雪が覗く杉林の間を抜けて田沢湖へ下る。秋田駅で特急に乗り換え、ガタンゴトンと揺られること1時間半、ついに能代駅へ到着。降車するとたちまち、駅舎の内側を取り囲む古くも温かい木の匂いに包まれる。
駅の周りをちょっと散歩してみる。
ほとんど無人のシャッター街に驚きながら、隣駅の大栄木工本社へ。
ついに能登さんと念願叶って初対面……の一言目、
「この間、秋田駅で小林さん(同行していたインビジョン社員、コバさん)見かけましたよ。」
声かけて欲しかったなあ〜。と言いつつ、どこか嬉しそうなコバさん。
「伝統を絶やすまい」と事業継承する経営者は表舞台の似合う主人公のような方が多いが、能登さんは真逆。すみませんね、花粉症で頭が回ってなくて…。とティッシュ片手に席につくやいなや、ご自身の真髄を表すかのような言葉を口にしてくれた。
「あんまり私自身にフォーカスの当たる取材って受けてこなかったんです。私は黒子なので。」
日本的な美意識は目には見えない

緻密で整然と並ぶ美しい柾目(まさめ)、耐久性に優れ狂いにくい材質——
日本三大美林の一つに数えられた天然秋田杉に恵まれた能代市は、明治から昭和初期にかけて多数の製材所が立ち並ぶ産業地帯だった。
昭和22年5月1日に誕生した大栄木工もまた、そんな流れを受けた一つ。
秋田杉材を近隣の建具屋に売る小割屋として誕生した2年後、建具屋として再スタート。
建具は、平安時代から1000年以上続く日本に継承される文化。
日本の伝統技を担う職人さんへのリスペクトから、職人ではない後継者である自らのことを「黒子」という能登さん。それとは裏腹に、創業者である祖父母に溺愛され、物心がつくかつかないかの頃から「あなたは3代目の社長ですよ」と言って育てられたという。2002年に大学を卒業後、大手百貨店系列の内装会社に就職。百貨店の他、ティファニーやカルティエ等ハイブランドの内装工事に携わり、3年後に大栄木工へ入社。そんな人生を遡り、原体験を伺うことに。
能登さん「もう、幼少期からずっと、です。会社を継ぐことを疑いもしなかったし、抵抗したこともないですね。子どもの頃は、障子を作っている会社だと思っていました。「建具」という概念はなかったですね。でも建具というのは、建築・空間全体を成り立たせるもの。そのためにどうするか、を考えている人たちと一緒に仕事をしていくのであれば、大栄木工で働く前に、空間デザインを先に勉強した方がいい——という父親の勧めで、大栄木工のお取引先にお世話になりました。」
——歴史的建造物、神社仏閣、文化遺産……荘厳な建築たちを思い浮かべてみる。設計、インテリア、展示品……全ての要素が意味を持ち粒だって見えるのはもちろんだが、見るものを心の底から感動させている何かって、確かにもっと他にあるような気がしてならなかった。考えるより先に、なんとも投げやりな問いを吐き出してしまうも、その反応は予想を上回るものだった。
インビジョン「何なんでしょう、あの感じは。」
能登さん「ね、「何なんでしょう」ってなるでしょう。でも、それが日本的な美意識だと思うんですよ。小学校低学年の頃に、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニ——当時の日本の最高級ホテル3つに大栄木工で作った建具を収めていて、それを見に父親に連れられて泊まりに行ったんですね。
特に記憶に残っているのがホテルオークラのロビー。谷口義郎という有名な建築家がデザインした、モダンに解釈された日本的な空間。エントランスの回転ドアを初めて見て、ぐるっと回ってふっと入ったら、ロビーの照明が暗くて、その中でガラスの向こう側の庭園から光を拾って……。その時は言語化できなかったけど、まさに空間に対しての感動というか「なんなんだこれは」というのが、私の原体験ですね。」
——うわあ、やっぱり。足がすくむようなあの「気配」を知ってる人が、ここにいた。
能登さん「小学校に入るか入らないかの頃に、水木しげるの 『妖怪百科辞典』を買ってもらって、すごく好きで読んでいたんですよ。その中に「小豆洗い」という妖怪が出てきて。小川や滝のあるところにいる妖怪なんですが、姿は見えないんです。川で小豆を洗っている音だけが聞こえてくる。不気味でしょう?シャーシャーって。
実体はないけど、音だけが聞こえてくる。そういう怖さって日本独特のものだと思います。ゾンビや狼男、バンパイアみたいな西洋のホラーはビジュアル的なものが先にある。でも日本の妖怪は実体を特定できないんです。「ぬらりひょん」もそうで、ある日急に変なおじさんが家の中に住みついていて、追い出せない。日常の中に非日常が入ってきて、それをどうにもできない。明文化されない怖さ——。こうやって 1個1個思い出してみると、つながっていることなんだなって思いましたね。」
話題とは裏腹に、遡れば遡るほど笑みが増し、声のトーンが上がる能登さん。見えない何かの話をしているはずだが、この人の脳裏にはきっと、おびただしい数の「何か」が浮かんでいるのだろう……こちらにもまた、見えないものが見えてしまいそうだ。
時空を超えて張り巡らされる、日本人の精神性

時に美しい、時に不気味。どの部分の造形が、色がすごいとかではなくて、実体を見せずに滲み出てくる何かが確かにあって。でもそれを創り出しているのは人間で……。
能登さん「ホテルオークラの回転扉がなぜ妙に印象に残っていたのかずっとわからなかったんですが、3〜5年くらい前に自分たちを再定義しようと思い始めた時につながったんです。建具というのは空間と空間を仕切るだけじゃなくて、人の気持ちも切り替えてしまう。開けたり閉めたりする時に、どっかからどっかへ、心や気持ちが変わっていくんですよ。」
例えば、西洋建築のドアというのはガチャッと閉めるとバタンと閉まって、内と外がはっきり分かれる。でも障子は、パチッと閉めても紙を通して光が入ってくる。その曖昧なニュアンスが日本の建具の特徴だ。襖を閉めると6畳間になるけれど、開けると大広間になる——用途や考え方によって空間が曖昧にできる。
能登さん「その曖昧さがまた日本的な美意識なんだから、言語化するのが難しい。やはりその空間にいて感じることでしか成立しない世界なんですよね。そういう文脈を自分たちのものづくりに落とし込まなければ、ただ仕上がりがいいとか高級です、みたいなことではもう感心されなくなってしまった。明らかに目の前にどんとすごいものを見せるのではなくて、見えないところに張り巡らされている、という感じ。」
張り巡らされている——。どういうことか。
建具は、基本的に直線的で、そのラインが揃っているのが一つの美しさの要素だ。それは、建具が建築の一部として組み込まれるから。また、隙間の繊細さも特徴的で、こっちの隙間は大きいけどこっちは狭いということなく、「チリ」(建築用語で壁面と部材が接する部分に生じる「わずかな隙間」や「段差」のこと)が綺麗にそろい、隙間の幅が精密に計算されている。そして厚みによって、柱や扉を触った時の重みや、障子なら和紙がどのくらい光を通すかが変わってくる。
さらに建具製品の許容誤差は、他社が大体0.5ミリ程度のところ、大栄木工は0.1ミリまでとしている。これがまた絶妙な数値なのだ。コンピュータ制御の機械に頼ると0.001ミリ程度の誤差に留められる。しかし、上記のようなパチっと障子を閉める音、光の入り具合などの情緒的な感覚は人間にしかわからない。また、それを織りなす木材の状態を知り尽くすのが、熟練の職人の手の感覚だ。その限度が「0.1ミリ」なのだという。
能登さん「木を触ると、これはねじれてくる、これは割れてくる、という状態がわかるんですよ。言語化は難しいですが、そういうものなんです。ITやAIがなかなか最適化できない分野、人間ならではの「身体性」。そしてその技術がある上で、いいものを作ろうという気持ちがなければダメ。——それが「精神性」の部分です。表面には見えない繊細さや緻密さ、5年後・10年後・20年後も気持ちよく使える配慮がその空間ににじみ出ているか。それが日本的な美意識だと思っています。そういうものの価値はなくならないし、むしろもっと貴重になっていく。最後に人間に残ってくるのってそこなんじゃないかなと思っています。」
「あったかもしれない時間」に想いを馳せる時、私たちのベクトルは基本的に過去に向く。ただ、その時間を未来に「あるかもしれない時間」と想像して、神経を張り巡らせてきた人々のおかげで今がある。そんな精神性こそ、技術そのものと同じくらい、未来に遺していかなくちゃならないな。
一生に一度、巡り会えるかどうか

「東洋一の木都」で継承されてきた伝統——しかし戦後、木製の建具が担っていた窓周りの素材はほとんどアルミサッシに置き換えられ、工業化された大量生産のものが喜ばれるようになり、木工業界は両極端に分かれていったという。大きくなろうと工業化する人たちと、昔ながらの製法で零細化していく人たち——。最高級材料であった天然秋田杉も、環境保全のため伐採禁止に。今や、建具づくりを行う企業はほとんど残っていない。
能登さん「リーマンショック、東日本大震災、コロナ——倒産の危機を乗り越えながら、気づいたんです。平安時代から1000年くらい続いてきた建具の文化は、我々みたいな規模とノウハウを持った会社でしか継承・発展させていくことができない、と。名人と呼ばれる人が弟子を1人2人取っても、その弟子が一人でやっていけるかといえば、ほとんどそうはならない。だからその必然性を、自分たちが担わなければいけないという責任みたいなものもありますね。」
もはや、大栄木工が受け継ぐのは、木都能代の伝統にとどまらない。限りある恩恵にあやかりながら、秋田杉に限らず、さまざまな素材と技術で「そこにあったかもしれない時間」を絶やすまいとする。能登さんには大栄木工を「伝統的なものづくりを志す若者の灯台」にしたいという志がある。
大栄木工の従業員数は約40名。工場の中で仕事している人間は約30名。仕事の9割くらいはゼネコンから直接、残り1割ほどは百貨店系の内装業者から受けている。伝統的な建具を作る部門と、国内では60分耐火のほか、2014年にはシンガポールの認定試験場にて世界基準に準拠した「120分耐火」の木製防火戸を作る部門との2つに分かれている。採用してから大体5年ほどで「建具技能士」2級取得を目指し、さらに3〜5年かけて1級まで育てていく。高卒で入社したとして、一人前になるのは30歳くらい。年月をかけて教えていくことを、創業者の代からずっと続けてきた。
能登さん「社長になった頃はすごく大変で、リストラも結構したんです。でも父親が「どんなに大変な時代でも採用だけはやめてはダメだ」と言っていて、いい時も悪い時もずっと続けてきました。私は建築や設計の専門教育も受けていない。だから日本の文化や、時代を象徴するような現場の仕事を受注して、皆で試行錯誤してこの世に一つしかない特注品の製作に取り組んでいくための媒介者でありたいんです。でもやっぱり、実際に手を動かす職人さんたちと一緒に働いてると「失敗したらどうしようとか、怖くないのかな……すごいな……」って思いながら見てますけどね。」
そう苦笑いする能登さんは、なんだか黒子というより能代の精霊に見えてくる。
そんな精霊が案内してくれた工場で、大きな機械がガガガと音を立てる中、木の感覚を確かめるように粛々と手元に集中する職人さんたち。彼らは今、一生に一度、巡り会えるかどうかの空間づくりに心を張り巡らしている。

職人さんたちの作業場を抜け、最後に訪れたとある一室。
そこに立ち並んでいたのは、自社製品だけではなく、歴史的施設の建具たち……。その中でも一際、何か語りたげに佇んでいたのが、数年前にリニューアルされ、もう見ることのできないクラシックホテルの客室ドア——。建て替え時にお裾分けしてもらったのだという。「あの時の面影」のかけらが、大事に大事にアーカイブされ、意匠が受け継がれていく。そんな歴史そのものが、あの「気配」の正体なのかもしれない。
胸いっぱいで、帰路に着く。能代市内から秋田駅までの車窓に広がる、ピンクからオレンジ、オレンジから藍へと変わっていく空の色。その流れが、なんだか今日は一層ゆっくりと感じられる気がする。
こんなに美しい景色は確かに存在するのに、サン=テグジュペリは言う。
「本当に大事なものは、目には見えないんだよ。」
そうだね。本当に大事なものは、人間の心にしか映らないのかもしれない。
ストーリーを取材したライター

田野百萌佳
ルーツを探り、五感と語感で表現するライター。炭都・福岡田川を脱出し首都・東京渋谷でザ・文系大学生活を謳歌。カッコつけずナチュラルに企業の想いをカタチにする仕事を探し求めインビジョンに新卒入社。求人原稿、採用広報記事、ブランドストーリー、コピーライティング...いろんな言葉を練っています。特技は妄想。
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