スタイルのある人
日の出屋製菓産業 5代目社長 川合洋平 氏
2026.3.30
いつだったか、「好きなことを仕事にするのはやめなさい。嫌いになるから。」って先生は言ったよね。あれはやっぱりでたらめだったよ。まっすぐ生きる大人はたくさん居たんだ。ただ、好きが浅いと、ありえるかもね。深く潜れなきゃ、景色は一緒。簡単じゃないね。でもわたしは道中も歓迎するよ。だってスタイルのある大人はみんなそうなんだ。
今日も見つけたよ。——


雪化粧の北アルプス、立山三山。そこへ続くまっすぐな一本道を、車で疾走した。BGMはゴリゴリのメロコア。凍てつく外気をよそに、車内はかなりアツい。目的地は、創業100年を迎えた日の出屋製菓産業。お相手は5代目社長、川合洋平さん。全国CDデビューを果たしたロックバンドの、元ベースボーカルでもある。はじめてお会いした日のことは、今でも忘れない。ゆるい白Tにツイストスパイラルパーマ。「どうも〜」とお出迎えしてくれる声に、拍子抜けする柔らかさがあって。こちらの関心ごとにも気を配りながら、米や桜の文化を楽しそうに語る洋平さんを前に、見つけた!と胸が鳴った。どのジャンルにもハマらない、スタイルのある人。今日はそのバックボーンを覗きにきたんだ。

サビからかっ飛ばしたいところだが、まずは冷静に洋平さんのこれまでを聞いてみよう。
「なんで日の出屋の長男に生まれたのに、家出ちゃえー!ってなったのかですよね。いや先祖代々みんなそうなんですよ。じいちゃんは、俺は国のために散る!って、特攻隊志願しに行っちゃって。うちの親父は頭よくて、同じく家は継がない。ってアメリカに留学。だから僕が東京で音楽やりたいって言った時も、そりゃ色々言われましたけど、最後は『お前も血やな』ってことで。みんなほんとに継ぐ気なかったのに、結局戻ってるところまで血ですね。」
都会の熱を求め、バンド仲間と富山を飛び出した洋平さん。新宿を拠点に、わずか数年で全国アルバムデビューし、本気で音楽に生きてきた人が、どうして家業に戻ったのか。
「それね、ほんと自分でもわかんないんですよ。22歳で親父に呼ばれて、ちょうどこのデッキで話してて。ずっと断ってたんですけど、何かの拍子に「やっぱ戻るわ。」って言ってて。あん時一番わかんなかったですね(笑)でも入社したら、”ようやく戻ってきてくれた”って泣いて喜んでくれた先輩がいて。”俺は日の出屋生活でこんなこと教えてもらったんだ!”って語ってくれる先輩もいて。あ、これやべっ、相当がんばんなきゃなって。いろんな景色を見て、人の想いを聞いて、気づいたら今があるって感じで。全然かっこいいエピソード、ないんすよ。」
これだー。洋平さんには、力みがない。はじめましての時からぜんぜん警戒がなかったし、会話は軽やかで、どこか遊びがあって。合いして、「あの時からあいつはガチだった。」と、口にする諸先輩方もいる。
この絶妙なバランスに、ころっとやられちゃう。それってどこからくるんだろう。

「そうだなー、でもこれ普通だと思うんですけど、母からずっと、世の中で起こったことは全部必然と考えなさい。って言われてて。良いことも 悪いことも全部。もう今日めっちゃ最悪なこと起きた。 でも必然だしなんか意味があるんだよーってなると、くそったれーだけでは終わらないと思うんで。」
つらくてたまらない時に、「これにも意味がある」と思おうとすることは、わたしにもある。でも、それはなんとか立て直すためのパワープレーで。それを、地で行っている人がいる。
「今のデジタル社会、洋平さんはどう感じてますか?つながりが薄れそうでこわくて。」
この人には、世界がどんなふうに見えているんだろう。
「あー、うんうん。うちの子たち、完全にその世代で。確かにもっと本当はやることあるのになって思う瞬間はあるんですよ。でもだからこそアナログへの感度が高い気がするんですよ。音楽一つとっても、サブスクで何でも好きなの聞けるじゃないですか。 けど一番最高なのはやっぱライブだって。 このミュージシャンの人はこんな表情してたとか、こんな感じの曲でこれやったとか。 すんごい真剣に読み解こうとするんですよ。すげえなと思って。 デジタルで知りまくってるから、本物の凄さを感じられるのかもしんない。(わかる、ちょっと分かるぞそれは!)あとほんとマジで冗談かと思ったのは、娘が誰々くんと付き合ったみたいなこと言うんですよ。 え、すごいじゃん、どうやって付き合った? って聞いたら、オンラインゲーム内で告白されたっていう。やべえなと思って。陸上部でも他校の誰々のアカウントだとか言って、SNSで繋がって。でもそうやりながら、彼女ら結局、最後は会うこと大切にしてるから。 間口が広くなってるだけで、ほんとにつながってる感覚はあんま変わってないような気がしますけどね。」
かかえていたモヤが、一撃で晴れた。洋平さんにかかると、どんなことも必然で、ちゃんと意味がある。
…でもマズい。このままだと、わたしの中で洋平さんがブッダになってしまう。
落ちること、ないんですか?

「めちゃめちゃありますよ。ずっとポジティブにいれるわけないんですよ。プレッシャーも感じるし。(よかった〜。)で、これ本当マジなんですけど、会社がすげえ調子いい時。 すごい矛盾なんですけど、いろんな人が育って、仕掛けたことが花開いて、「よし!」って思うじゃないですか。でもその瞬間、ふと「でもこれ俺いらなくねぇ?」って。バンドの時もそうでしたね。認知度が上がってきた時。音楽って、媒体、音、詞があるから。 それが独り歩きしてファンを作ってるなら、もう俺いらなくねぇ?って。さらにそれを表現するために練習を積もうとするんだけど。ギター 1本持って川に行って。 そのモードになってると、ずーっとダメでね。 泣きます。 橋の上から川を覗くみたいなのもありましたよ。でもちょうど昨日テレビつけっぱなしにしてたら、スノーボードで金メダルとった平野選手が、そういう時どうするんですか? って聞かれてて。 そしたら『もうずっと上がってません。でもそれで結果出たら本物だなと思ってやってます』って言ってたの。 すげえ、って思って。 だから何だろうなあ。へこんでても絶対動く。無理やりでも絶対動く。…それで時間が解決するかな。」
動き続ける、その原動力はどこから来るのだろう。お会いする前に日の出屋のことを調べる中で、あることばが心に残っていた。
「“ひと”と“とき”をつなぎたい——日々のあいだをきちんと味わうことで——あなたと周りの人、世界がやさしく繋がって動き出す。——そんな“いい時間”がたくさん生まれますように。」
なるほど。“人”と“時”で、ひとときか。…お菓子も、音楽も、「“いい時間”を届けている」という意味では、同じなのかもしれない。
「いい時間ね。めちゃめちゃいいじゃないですか。そう、やってること一緒ですよ、最後。違うとこ見つける方がむずかしいな。 僕ね、人は生まれた瞬間に絶対的な目的があると思ってて。自分が幸せになることと、誰かのためになること。それ以外ないですよ、絶対。で、人生いい時間だったかは、生きてる途中じゃわからないと思うんですよ。生き様より死に様だなって。終わりがあるからこそ、今を強く生きたい。これも親の受け売りですけど。自分のためだけ、ってなんか虚しいじゃないですか。お金とか時間とか、全部自分に使ったとしても、それ以上ってあんまりない。でも純粋に誰かのために、って動いたときのほうが、いい時間だったなって、思うじゃないですか。人間は、徳を積むことで、いい死に様を迎えられる。でも会社は、徳を積むことで、終わらずに済む。そんな感じかな。僕らは会社を永続させたいから。でも目的が違う人もいるか。価値を上げてバイアウトするのがゴールのチームもあるし。その世界線で幸せならいいと思う。ただ終わったあとに何が残るか。そこは決定的に違う気がするんですよね。利己的なのも否定するつもりはないんですけど、やっぱり人類文明がずっと続いてきたのは、利他的な精神があったからであって。時代時代で、自分たちが受け取ったものに感謝して後世に残してきたからこそ、今があるのは間違いないですよね。」
ズシン——。狭すぎた自分のスコープ。本当に大切な場所へ引き戻される。
創業100年を越えた日の出屋は、後世に何を残したいのか。洋平さんは、幼い頃から食卓で文化の話を浴びてきたという。

「僕たちもともと農耕民族ですよね。特に稲作文化から始まった民族。フィールドでぶわーっと種蒔いて、どんだけ少数精鋭で農場を持つか、みたいな農文化とは違って、全然バッとできないんですよ。この田んぼはAさんちの、こっちはBさん、あっちはCさんち。だけど一軒じゃできないから、 今日はAさんちをみんなで植えましょう、次はBさんちを刈りましょう。道具も共有して、災害があれば一緒に復旧して。一軒じゃ無理なことを地域社会でやるんですよ。そうやって時間を共にして助け合う感覚を、結の精神って言いますけど。そういうルーツもあって、米はずっと“特別なもの”として扱われてきた。 国民の象徴である天皇が即位後に行う大嘗祭でも、新穀を神にお供えするでしょ。花見も、もともとは田んぼの神様を迎える神事だって話も面白いですよ。 それくらい米は日本の文化の真ん中にある。だから僕らは、米を使っているから日本のお菓子なんじゃない。 米に宿ってきた、感謝とつながりの精神を受け継いでいるから、日本のお菓子なんです。」
ズシン。まただ。ここぞって時の洋平さんのことばは、重たいパンチみたい。
ふと、花巻東高校での講演で語られた、境野勝悟さんの一節を思い出す。
『ああ、ありがたかった、ああ、自分でよかったと、自分自身でそう思ったときに初めて、それじゃ自分は何をしたらいいか、どういう夢をもったらいいかがわかるんだよ。』
なんだかわたし、大きな勘違いをしていたのかもしれない。人は受け取ってきたものの大きさに気づいた時、感謝が湧き、行動が変わっていく。スタイルって、作るものじゃなくて、それを積み重ねた結果なんだ。わたしはちゃんちゃら、あまちゃんだ。
「商品は会社の願いを映す器だから。そういう品で、誰かが笑ってくれたら、めちゃくちゃ嬉しいじゃないですか。毎日のおやつでもいいし、結婚式とか、飲みながらとか、なんでもいいんですよ。誰かのメモリアルな時間の中にいられたら嬉しい。僕の大切な人が亡くなった時に、親戚が『最後に思い出の品を贈った。』って。それがうちのせんべいだったんですよ。いや僕のとなりで売ってるでしょ。けどそれって嬉しいじゃないですか。」

でも文化を守ることも簡単じゃないと、洋平さんは教えてくれた。同じ品種の米でも、年や四季が変われば、まるで別物になるという。梅雨は水分が多く、乾燥しにくい。 冬は乾きすぎて、割れやすい。米菓づくりは、分業であり、総力戦。工程は大きく分けても10ほど。 精米、洗米、蒸し、つき、成形、乾燥、焼き、味付け、包装、販売。ざっくりそれぞれで1部署だが、各工程でさらに数十以上のプロセスがぶら下がる。数百工程のすべてが、つながっている。
「どこかで割れがでたとする。でも原因は、焼きではなく、最初の蒸しにあるかもしれない。割れた場所だけじゃわかんないんで、もう、もう生きてる何かと戦ってますよ、僕らのそれは。だからうちの亡くなったじいちゃんが言ってたのは、餅の声を聞けって言うんですよ。 全然わかんなかったです、僕は。」
え、今ちょっとわかるんですか?
「わかんないです。その境地にも達してないです。餅が語りかけてくるんだと言ってました。何言ってるんだろうと思って。まじで。」
日の出屋には、『人づくり品づくり』という社是がある。
「何か起きたときに、“誰かのために”って思える感覚のある人が、全工程にいること。じゃなきゃいいものなんてできない。絶対。」
企業なくして文化守れず、人あらずして良い品作れず。かっこ良すぎる、大人の世界。

そして最後にこう付け加えた。
「でもやっぱ、楽しくなかったらやらないじゃないですか。好きこそ物の上手なれじゃないですけど。人間、熱中しているときがいちばん本領を発揮するでしょ。だから日の出屋のバリューに、“楽しむ”を入れたんです。みんながそう存れる会社になったらいいなって。あれ、最後僕が勝手に決めたんですよ。」

——先生、きいてる?
「好きなことを仕事にするのはやめなさい。嫌いになるから。」
やっぱりあれは、でたらめだったよ。
きっと先は深くて不安定。だけど戯曲じゃつまんない。
最後は、洋平さんの楽曲から一節お借りして。
Can You hear your beat?
ストーリーを取材したライター
